女優の広田レオナさん、先日吹越満さんと2度目の離婚をしましたね。
2回同じ人と結婚するのも珍しいですが、また離婚。
再婚した時の理由が子供の進学のためだったりして、
まともなんだか何だかよくわからない人ですね。
そもそも、広田レオナさんの感性ってとても独特で、
一般常識の枠にはまらずに生きているところが
実はすごく好きだったりします。
あの感性の源は何なのか、広田レオナさんのこれまでの歩みを調べてみました。
ご両親も独特?
広田レオナさんの父はミュージシャンのジョージ広田さん。日本人ミュージシャンでパーカッショニストとしてヨーロッパを拠点に活躍し、母であるミッチ広田さんは、デビッド・ボウイのアルバム『スケアリー・モンスターズ』の『It’s No Game (Part 1)』で日本語のナレーションをしていたとのことです。
そんなわけで、長く海外に住んでいたようです。
広田レオナさんは、まるでハーフのようなお顔立ちですが、お二人とも純粋な日本人とのことです。
しかし、海外生活が長いと、なんだか独特の雰囲気を醸し出しますし、
ましてやお二人とも芸能関係のお仕事をされているという事からも、
一般の日本人家庭とはちょっと違う環境で育ったのかしら?
と想像してしまいますね。
バレリーナを目指し、バレエ留学
広田レオナさん自身は小さいころからバレエの英才教育を受け、15歳でベルギー王立芸術学院に合格。
そこで、モーリス・ベジャールに師事。
ってすごいな。あのモーリス・ベジャールですか・・・。
(ちなみに「ボレロ」の振り付けで有名な人です。)
さらにその際、ダンスだけでなく演劇理論も学んだようです。
しかし、18歳の時に腰を痛めてバレエを断念。
一流の環境で、学ばれていたことから、この怪我がなければ、
本場ヨーロッパで、一流のプリマになっていたかもしれませんね。
あの容姿なら十分に通用したことでしょう。
女優に転身。
帰国後、19歳で映画のオーディションに合格。
1983年に、「だいじょうぶマイ・フレンド 」(1983年)でピーター・フォンダの相手役として女優デビュー。
お母様はデビット・ボウイで、娘はピーター・フォンダですかい。
何か、親の代からスケール感の違いを感じますね。
血は争えないというか…。
その後も、映画やドラマで個性派女優として活躍。
美しさもさることながら、あの独特の雰囲気のせいか
妙に存在感がありました。
とにかく、見ていて気になる存在でした。
監督業に転身
2000年に初監督作品「DRUG GARDEN」を発表。
精神神経症を持つ女優と彼女を取り巻く風変わりな人物たちが織りなす、不思議な共同生活を描いた自伝的ドラマ。監督は、本作が初監督作品となる女優の広田レオナで、主演も兼ねている。
引用元:http://eiga.com/movie/38219/
自ら家庭用ビデオカメラで撮影し、音楽、編集など、ほとんどすべてをこなしたとのこと。
もともと、広田レオナさんは、女優は嫌いだった、と何かで語っていたのを見たことがありました。
監督業が本来の「やりたかったこと」だと気がついたそうです。
そして2015年公開の「お江戸のキャンディー」を機に
監督業を中心に裏方業に方向転換しました。
出演者たちのインタビュー内容です。
そんな広田監督の手腕に話題が及ぶと、キャスト陣は一様に最敬礼。「撮りたいビジョンが明確にあるんですが、それを役者の芝居を見ながら柔軟に変えてくれる。建設的に作品を作っている時間は楽しかった」(橋本)、「4日間のタイトなスケジュールで、寝ずにやっている中で、あれだけのエネルギーが出てくるのは映画に対する情熱」(高橋)、「深いところまでこだわってくださったので、全部を預けられる信頼感があった」(南羽)と尊敬の念を込めた。
引用元:http://eiga.com/news/20150205/16/
また、芸能事務所をたちあげ、社長業もこなしているなど、
実は、自分で考えて動く方が好きな人なんだな、と思いました。
容姿が美しく、言動はなんだか不思議ちゃんな感じで
フワフワした感じの印象をもっていましたが、
見た目に騙されていました。
とんでもなく、強い信念をもった、表現者なんだという事が解りました。
若い時の留学経験で、「本物」を学んできた人だからこそ
やりたいことのビジョンがはっきり見えて、今の広田レオナさんがあるのかなあ。
やはり、この人は何かが違います。
これからも、楽しみな人ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。